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続・検察庁法改正案についての色んな見解を整理してみた

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昨日夜、検察庁法改正案について、「Choose Life Project」の討論番組がYoutubeでライブ配信されていました。

Twitterで流れてきたので、へー、と思って観ていました。

番組を見て、前の記事をもう少し書き足したくなったので、以下少し続きを書きたいと思います。

なお、前の記事で書いたことは端折ってますので、「?」と思うところがあったら、前の記事を見てみていただけばと思います。

今回の改正案への賛否

結論を改めて書いておくと、今回の改正案には個人的には反対と思っています。

経緯論(黒川検事長)、手続き論(法務委員会を通してない)、具体的な中身("余人をもって代えがたい"なんてことがあるのか、また、要件判断の要素・準則を明らかにしていない)、どれにも問題があるように思います。

しかし、反対派の人たちが言っている、「内閣に検察の人事への介入を許すことは、三権分立を崩壊させるものだ」という説明にも、違和感があります。

今回の法案のやり方がダメだとしても、「内閣が検察の人事に影響を及ぼす制度設計」自体が絶対にとり得ない(三権分立に反する)わけではないと思います。

内閣が検察の人事に影響を及ぼすことは絶対悪なのか?

この問題を考えるときには、検察を行政権として考えるよりも(検察官が行政官であるという形式)、司法権に近づけて考えることになります(準司法的作用を担っているという実質)。これは憲法学上、そのように整理されています。

だから司法権と置き換える形で、こういう図で考えてみます。

まずは司法権についての図です。

メモ 2020-05-11 民主的コントロールの図

これは前の記事で書いた図と同じです。

民主的コントロールからあえて一番遠いところに置きつつ、最後は国民審査によって国民が直接手を突っ込めるようにしている、という仕組みです。

次に、検察権についての図は以下です。

内閣が検察トップを選ぶことは、憲法ではなく検察庁法で決まっています(15条)。

2つの図を見比べてみるとわかりますが、検察には、司法と違って、国民審査のような、国民が直接手を突っ込める制度はありません。

そして、国民→国会→内閣→検察、というルートも、検察庁法で検事総長等の任免権は内閣にあるものの(15条)、これまでの慣行上、この規定は事実上無効化されており、このルートも遮断されています。

じゃあ、上記の図のうち、人事面で誰が統制・あるいは牽制を及ぼしているの?というと、実は誰もしていないことになります(検察の自律)。

検察人事・・に対する民主的コントロールは及んでいない状態なわけです(※注:個々の事件の処理を除く職務・・に対しての、法務大臣による一般的な指揮監督権(14条)などの統制はありますよ)。

個人的な理解では、ホリエモン氏(c説)は、ここを指摘しているのだろうと思います。結論的に今回の法案まで肯定している点で、賛成ではないですが、この点は傾聴すべきところという感じがします。

ちなみに、慣行上、検察庁法の規定を無効化していたこれまでの経緯も、別に間違いだとは思わないです。そうしていたことも、ちゃんと理由があってのことなので(「検察を政治の影響から切りはなすための知恵」とされている。以下記事の「4」の部分)
【意見書全文】首相は「朕は国家」のルイ14世を彷彿:朝日新聞デジタル

しかし、これからの将来を考えたときに、それ以外の選択肢があり得ないかのように言うのなら、それはそれで違うように思います。

現行の検察庁法は?

内閣が検察の人事に影響を及ぼすことが絶対悪であるとするなら、じゃあ現行の検察庁法(内閣がトップを選ぶ等の仕組み)も絶対悪なのだろうか?という違和感があります。

(※)亀井源太郎教授の以下記事を参照
「検察庁法改正」の論じ方(亀井 源太郎) @gendai_biz

そんな議論がこれまであったっけ、と。

現在は慣行上、実質的に無効化していますが、内閣が実質的にトップを選んでも、絶対ダメなわけではないはず、です。

ならば、選択肢として、今回の法案の内容はダメだとしても、検察の人事に一定の影響力を及ぼす制度設計も含めて考える(検討の俎上に乗せる)ことは、あってもいいはずです。

そもそも、「内閣がトップを選ぶ」と言う構造は、司法権についても同じですから、絶対悪とか言い出したら、憲法自体が自己矛盾を起こしていることになりますしね(憲法自体が、司法の独立性保障を謳いながら、内閣にトップを決めさせている)。

それぞれの曖昧さ

結局、それぞれに曖昧さというか、隠し事があるような感じがするところです。

法案を提出した人たち(政府)は、”時の政権の不正を追及させないために改正案を出している?そんなつもりはありません”と言っていますが、そんなことはないように思いますし。

反対する人(a説)は反対する人で、”検察の人事に政治が影響を及ぼすことは一切ダメ”と言っていますが、そんなことはないと思いますし。

賛成する人(c説)は、問題意識は正しいとしても、”今回の法案自体も通して何の問題もない”と言っていますが、それもそんなことはないと思います。

そうだとすると、

・今回の法案は通さない(実際には数の論理で無理なんでしょうが、べき論として)
・検察の独立性を保障しつつ、検察の独善化を防止する制度設計を今一度考える。手続的にも法務委員会を通す。
・そのときに、検察の人事に内閣が一定の影響力を及ぼす制度設計も含めて、検討の俎上に乗って良い。その際、役職定年延長に関する何らかの仕組みも、検討はされてよい(ただ、うまくやらないと民主的統制がキツくなり過ぎる可能性もある)
・全体の設計を考えたときに、検察の人事に影響を及ぼす制度設計は必要ない(=他の方法でできる)と判断したなら、導入しなくて良い。必要だと判断したなら、内閣が濫用できないように細かいところも詰めた上で、導入して良い。

という感じで、今回の法案はだめだとしても、制度としてはフラット・どちらもあり得る(b説)というのが、真っ当な意見と思います。

ちなみに、検察内部にもb説的見解をもった人はいるみたいです(以下記事の最後の段落の、「冷めた声」の部分)。
「理由がさっぱり」検察庁法改正、首かしげる現職検事も(朝日新聞デジタル)

検察人事に対する民主的コントロール、本当に要らないの?という意見です。

結び

結局、今回の改正案がいろいろ問題になっているのは、内閣が検察の人事に影響をもつのが絶対悪だからというよりは、デリケートな制度設計が必要な話であるにもかかわらず、経緯、手続き、制度の作り込みなどが雑だった、ということなのではないかと思います。

音喜多議員のブログや亀井教授の記事は、そういうスタンスで書かれており、事態を正しく伝えていると感じます。

ちなみに、「今一度考える」としても、その時期については、新型コロナ対策の方が遥かに緊急性は高いと思います。

会社だって人的資源は有限なように、立法府だって人的資源は有限ですしね。

[注記]
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