ネットニュースなどで話題にのぼっていましたが、香川県で、先日、「ネット・ゲーム依存症対策条例」が可決・成立したそうです(3月18日に成立、4月1日から施行)。
そんなにつぶさに見たわけではないですが、見てみて、うーん…と思ったので、記事にしてみました。
ネット・ゲーム依存症対策条例
内容的には、
- 18歳未満の子どものゲーム時間を1日60分、休日は90分までとする「目安」を示したり
- 保護者の責務として、子どもがネット・ゲーム依存症にならないよう子どもと向き合う時間を大切にすることを謳ったり
しているそうですが、努力義務で、罰則はないということです(まあ当然そういうふうにしかできないわけですが)。
賛否両論あると思いますが、どう思われます??
▽参考リンク
ネット・ゲーム依存症対策条例(仮称)素案
この記事では、立法論チックに、以下のような流れで考えてみました(もちろん管理人の個人的意見です)。
- 法形式の選択は適切か?
- 立法の目的は合理的か?
- 立法手段の必要性(実効性)
- 立法手段の相当性(弊害の大小)
①法形式の選択は適切か?
「条例」という法形式の選択の時点で、既にミスっているのではないでしょうかね…。ニュースを見たとき最初に感じた、率直な感想です。
法令は何よりも「強制力」をその本質とする、というのが基本的な考え方(社会規範や道徳との違い)なのですが、規制しようとする本体部分に一切強制力のない条例をつくって、なんか意味あるんですかね?(理念法とかそういう言い方もあるみたいですが)
つくった側としては、”条例の形で制定するにあたってそういう批判があることは承知しているが、メッセージ性・啓蒙性・社会への問題提起といった意義があるのだ”、ということなんでしょうが、だったら医療的な指針でよくないですかね?
安全にプレイできるゲーム時間の目安がほしいのなら、それで十分なはずでは。
たとえば、アルコールにも依存症があり、医療的な指針(厚労省)が存在するわけですが、「ビールは一日2~3本まで。また、正しい生活習慣を身につけて予防するために、早寝早起きしましょう。」みたいな内容を、条例で、かつ一切強制力のない形で作ったら、ものすごく間抜けな感じがしませんかね。それと同じような話だと思ってしまいます。
ゲームの依存症自体は、何も18歳未満の子どもだけの話ではないわけですので、世代を限定しない医療的な指針をつくる方がいいような気がします。
そのうえで、特に18歳未満の子どもについては、プロパーの事情として家庭内での親子の対話などについても言及する、とかの方が、バランスよくないですかね。
②立法の目的は合理的か?
ゲーム依存症を防止したい(特に18歳未満の子の)という目的は、合理的ですよね(まあ立法しようとしているのに、目的レベルで合理的でないものなんて普通無いわけですが)。
ただ、この部分は特に重要で、問題意識はすごくよくわかりますし、重要だと思います。
管理人は、依存症、という言葉だけ聞いても、いまひとつ肌感覚がわかなかったのですが、国選弁護などをすると、さまざまな依存症の方と対面することも多いので(アルコール、薬物、窃盗(クレプトマニア)など)、やっぱり実際に会ってみると感覚が変わるところがありました。
管理人は多少なり触れたことがあるに過ぎないですが、それでも感じるのは、依存症は「闇」です。実際に会うと、「依存症に対しては病理であると認識し、医学的アプローチで物事を考える」というのは、正しいことだと腹落ちします。そういうアプローチでないと、事態が好転しないと感じます。
ゲームにこの恐るべき「依存症」があるのだということは、(管理人はゲームの依存症の方には会ったことないですが)実際に接することがあれば、相当に深刻な状態であろうことは想像がつきます。
なので、この条例の言わんとするところには、字面から感じる以上に重要なものがあり、理解できます。
③立法手段の必要性(実効性)
では、この「強制力のない条例」の形で「ゲーム時間の制限や親子の対話の時間を設ける」という手段は、実効性があるんですかね?ゲーム依存症を減らすこと、できそうですか??
うーん…。
できないんじゃないですかね。
実効性でいうなら、テクノロジーで解決する方がよほど現実的そうですよね。条例という形でとりあげたのは全国初で、先進的な条例だ、みたいな扱いも目にしますが、本当に先進的なんですかね。
ある起業家社長のYouTubeの生産性向上動画で、iphoneの設定アプリから制限時間を設定できることなどが紹介されてましたが、これの強制バージョンみたいなアプリを開発して県民に無償配布してあげるとかした方が、効果的な気がするし、先進的ではないでしょうかね。
コロナ対応で、台湾の天才大臣がアプリつくって称賛されてたりみたいなこともありましたし。
④立法手段の相当性(弊害の大小)
弊害の方は、いろいろと思い浮かびます。
プロゲーマーになりたい人は?
プロゲーマーを目指したい子どもって、どうしたらいいんですかね?親も「それもアリかな」というときに。(※注)
子どもが1日60分、休日は90分を超えてプレイした場合、「あなた方、条例に違反しているよ。罰則はないけど。」って言うんですかね。
もちろん実際に言う人なんかいないとしても、そういうメッセージを自分の住んでいる自治体が発していることになるんですけど。
(※注)ちなみに、18条2項を見ると、主語が「子ども」ではなく「保護者」になっているので、子どもではなく親を規制対象にする体裁をとっている模様。つまり、子どもが守るよう努める、ではなく、親が守らせるよう努める、という書きぶりです。苦肉の策、って感じがしますが…。
弊害という面からいうと、プロゲーマーも選択肢のひとつと考える親子にとっては、邪魔になるのではないか、と。
ただの昭和的価値観の押し付けでは?
一読した瞬間に感じたのは、コレなんですけどね。
結局、どう使われるかっていうと、
「こらっ!ゲームばっかりやってないで宿題やりなさい!ウチの県では条例でも禁止されているのよ!」(←目安だし罰則もないけど、それは言わない)
みたいな使われ方しかしないんじゃないですかね。
依存症の対策以外に、こういう別モノが混じっている感じがするところが、この条例の個人的に気持ち悪いところです(言い過ぎかな…?すいません)。
弊害という面からいうと、別にプロを目指している人じゃなくても、普通にプレイして大丈夫な時間まで委縮させることになる(そして、それが親側の都合と合致する)のではないか、ということです。
なぜ60分?(休日は90分)
一応根拠にしている社会的資料があるみたいですが、別に120分やってもよくないですかね?それで依存症になります?
逆に、120分とかにすると、「じゃあ120分まではやっていいんだね!条例でもそう言ってるし!」という子どもからの切り返しを恐れて、コンサバな時間設定(親側から見たコンサバ)にしただけなのでは?とかも推測してしまいます。
これらすべての批判について、「強制力ないんだからいいじゃん」で済ませているような気がするのですが、そんな安直な立法していいんですかね。
結び
というわけで、個人的な意見は、
・問題意識は重要だが、条例の形にしたのは間違っているのでは
・メッセージ性や目安を出したいなら、医療的な指針でよいのでは
・実行性を担保したいなら、アプリ開発など技術的アプローチによるべきなのでは
という感じです。
最近思うのですが、全体的な風潮として、法令と社会規範の境目をあいまいにしすぎてやしませんかね?
社会が複雑化、価値観が多様化しすぎて、なにが依るべき基準なのかみんなわからない世の中になってきたので、法令にその部分を頼ろうとしているといった論もありますが(コンプライアンス論の総論的なところでしばしば見かける論)、そんなことで社会やっていけるんですかね。大丈夫か日本。
「そんなこといっても結局みんな何もやっていないんだから、立法に携わる者としても、手をこまねいて何もしないよりいいだろ!」「条例もひとつのチャレンジだ!」という意見もあると思いますが、立法的なアプローチとしては、医療的な指針で出す方がより適当なのではと思います(「依存症」の問題なのだから)。
県の施策や体制整備についても書かれていますが、それも行政計画に盛り込めばよいのではという気がしますし。
個人的には、他の自治体の後続が続かないことを祈ります。
[注記]
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