法律ニュース

日本学術会議の推薦に対する内閣総理大臣の任命拒否

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今回は、日本学術会議から推薦された学者さん数名(ニュースによると6名)を菅総理が任命拒否したというニュースについて書いてみたいと思います。

正直、「学問の自由を侵害する」といった類のタイトルを見て、またセンセーショナルなこと言って盛り上げようとしてるな…としか思っていなかったのですけど。ちょっと前の検察庁法改正案のとき「人事的介入は三権分立を侵す」とか言われてたのと一緒だなー、という感じ。

が、ニュースを見ていると、任命拒否された6名のなかに法学者3名(刑法教授の松宮孝明先生ほか2名)がおられるのを見かけて、ちょっと興味が湧いたので、ニュースを探してみました。

▽ 「日本学術会議」 任命されなかった6人の学者はどんな人?|ハフポスト日本版編集部
https://www.huffingtonpost.jp/entry/news_jp_5f76974cc5b66377b27fcefe

ニュースを見てみると、条文を挙げながら任命拒否権の有無を説明するものとして、今回の任命拒否を肯定する見解と、否定する見解があったので、これを一応並べて見てみたいと思います。

なお、論点は要するに、

① 日本学術会議法7条2項は、内閣総理大臣に任命拒否権を認めているのか?

② 任命拒否は、学問の自由を侵害するのか?

という感じかと思います。

任命拒否は適法とする説

まず最初に、問題の条文を引用しておきたいと思う。法7条2項である。

第三章 組織

第七条 日本学術会議は、二百十人の日本学術会議会員(以下「会員」という。)をもつて、これを組織する。
2 会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。

法7条2項に、内閣総理大臣は任命拒否できる/できない、という文言が明示的に書かれていない以上、一応は、あるのかないのかは解釈問題ということになる。

で、ネットで見たところ、条文を挙げつつ任命拒否権アリとする見解は、たとえばこちら。

▽ 内閣府が国庫負担で管轄する組織の任命権が内閣総理大臣にあるのは当然のこと| 木走正水(きばしりまさみず)|BLOGOS(2020/10/02)
https://lite.blogos.com/article/488451/

ただ、独立行政委員会とかもそういう話になるんだっけ?という気もするので、ちょっと粗いような気がする…というのが個人的意見。

 

任命拒否は違法だとする説

任命拒否された学者の一人である松宮先生(立命館の刑法教授)に、京都新聞がインタビューしているもの。

▽「この政権、とんでもないところに手を出してきた」学術会議任命見送られた松宮教授|京都新聞(2020/10/01)
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/368847

まぁこうして並べてみると、さすが松宮先生というべきか、どう見ても法解釈のロジックとしては、任命拒否は違法とする説(内閣総理大臣に任命拒否権はないとする説)の方に軍配が上がりそうである。

個人的にも、条文構造からなる用例、それと、法律の沿革・目的と構造からしてそのように解釈するのが自然だと思うので、内閣総理大臣に任命拒否権はない、という解釈が正当なものだと思う(というかそういう解釈以外にあるのか?と思うぐらいの感じ)。

ちなみに、ちょっとクスっとなったのだが、天皇の国事行為としての内閣総理大臣の任命権を持ち出して、それと条文構造が同じだと指摘しているのは、「じゃあアンタ(菅総理)も、国会から指名されたあと、天皇から任命拒否されてみたらどうなん?」という皮肉が込められているのではないか、と思う笑(管理人の主観です)。

なので、任命拒否はやはり法7条2項に違反していると思う。

 

学問の自由を侵害する?

ただ、「学問の自由を侵害する」というのは、個人的にはピンとこない。ここをちゃんとロジカルに説明しているものはあまり見かけない気がする。

たぶん、自らの学問的思想の表明や内容の如何によって任命拒否という不利益を受けること(そのような選別を受けること)が委縮的に作用する=学問の自由の侵害だ、というロジックなのだと思うが、それで学問の自由の侵害といえるのかはちょっと疑問である。大学、研究室等での研究が妨げられるわけではないし、その思想を発表することを妨げるわけでもないし。

日本学術会議の独立性を侵す(公的機関での学問の中立性?)、という観点もあるのだと思うが、大学の自治などと違って、日本学術会議というのは憲法上またはその解釈上、憲法に根拠付けられた組織ではないように思うので、それもキツい気がする。ただ沿革的に戦争の反省に基づいて、政府として学問を奨励・尊重しつつも独立性を担保するという特徴があるようだから、そこで何かいえる可能性はなくはないのか…?

学問の領域・思想に政権が手を突っ込んできた(気にいらない学者は締め出す)=学問の自由の侵害(滝川事件みたいな?)というイメージとか、学問というのは政治性に左右されてはならないという性質論はわかるのだけど。

なので、憲法が学問の自由を保障した趣旨に反している、というのはわかるけれど、「違憲」というにはまだちょっとどれもフワッとしているように見える。

わざわざ憲法を持ち出して「学問の自由を侵害する」とかいわなくても、法7条2項に違反する、といえば十分では?というのが個人的意見である。

※つまり、日本学術会議は、憲法上の学問の自由の趣旨を踏まえて立法・制度設計されたもので、現行法では任命拒否は予定されていない。が、憲法上の学問の自由に直結したものというわけではない(憲法上必然的にその形式での設置のみが要求されるわけではない)ので、別の制度設計はとれる=行政の方に任免権のある制度設計自体はできなくはないし(その場合、たぶん、御用学者の集団として世間は見るのだろう)、そもそも設置しないという選択肢もある、という気がする。

 

法解釈のルール無視の方が問題

この件は、学問の自由の侵害というよりは、通常の法解釈を無視したルール無視の態度のほうに問題があるんだと思う。

従前の政府見解(公定解釈)については、こちらのブログがわかりやすくまとめてくれている。

▽ 菅総理による日本学術会議の委員の任命拒絶は違法の可能性|弁護士渡辺輝人のナベテル法蕩記|Yahoo!ニュース (2020/10/01)
https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabeteruhito/20201001-00201090/

こう見てみると、やはり従来の公定解釈を(簡単に)放棄しているようにしか見えない。

 

奥義の無限ループ

ちなみに、似たような話は集団的自衛権の行使の問題についてもある。

昨日、一連のいわゆる安保訴訟(安保法制の集団的自衛権について違憲性を問うもの)について、前橋地裁で棄却判決とのニュースがあった。

▽ 安保法制訴訟、請求棄却 憲法判断せず―前橋地裁|時事ドットコム(2020/10/01)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020100100687&g=soc

前橋地裁が一連の安保訴訟のなかで初めて証人尋問を実施し、もと内閣法制局長官が証人尋問で採用されて、長年の政府解釈に反していると述べたと伝えられている(※判決は、平和的生存権の具体的権利性を認めず、憲法判断に入る前に棄却)。

こういう、従前の公定解釈(政府見解、行政解釈)を簡単に放棄して、変更に関する説明もない、というルール無視の態度。個人的には、このへんに若干イラっとするところがあって、そのときどきの政府によって(あるいは政権与党の違いによって)思想や基盤団体の違いはあるとしても(それは仕方ない)、法治国家の政府として法解釈のルールは守ってほしいと思う。

これは思っているよりずっと恐ろしいことで、

① ルールを無視する

② 説明を差し控える
(=説明責任を果たさなくても、選挙で負けない=国民に文句を言われることはない)

③ 司法判断はない

(=付随的審査制のもと、司法は憲法解釈を示さない=司法に文句を言われることもない)

という風になっている。

この構造はもうほぼ確立された感もあって、それはあたかも、今日発売された「鬼滅の刃」22巻で繰り出されるヒノカミカグラの奥義の無限ループのように、今後これをずっと繰り返していくことができちゃうのである。

要は、国民は足元を見られていると思う。

じゃあお前はどうすんだ、文句言うだけなのか?と言われたら、やっぱり選挙での意思表示を通じて変えるしかないのだと思う。

しかし、政権担当能力のある野党が存在せず(先の民主党政権でそれが実証されてしまった)、国民もそれを選択しないことがわかっているから、足元を見ているのだと思う。

「じゃあ選挙で他の政党に替えてみなさいよ。できるんですか?」という。

 

結び

本記事での管理人の個人的意見をまとめると、以下のような感じですかね。

  • 学問の自由の侵害にはならない(=憲法違反ではない)
  • 端的に、法7条2項に違反するといえば十分(=法律違反である)
  • それは、従来の政府の公定解釈にも反している
  • 「従来の公定解釈無視の態度」+「説明を差し控える」+「司法判断示されない」は、もはやループされる奥義となっていて、無理に憲法問題を持ち出すことよりも、こちらの方がよほどヤバい

 

追記(2020/10/07)

その後、この問題に関しては、憲法15条を根拠に、内閣総理大臣が任命拒否できるのは当然、だから、違憲ではないし違法でもない、という見解をちらほら目かけるようになったが…。
(内閣法制局が憲法15条を根拠にした説明をしている模様)

第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

個人的には、本当にそれでいいと思っているのだろうか?という感じ。

憲法15条は公務員全般に関して究極的な総論部分を言っているもので、これだけで各プロパー領域の公務員の事情についてまで全部説明できる(妥当な結論を導ける)わけではない、と思う。

考え難いけれど、推薦のなかに、たとえば業法や会社法でいう欠格事由(の一部)にあたるような事情(わかりやすくいえば一定以上の刑事罰とか。あるいは、反社関連性とか)があったときには、それは任命拒否できるだろうと思う。それは憲法15条があるからだ、というのはわかる。国民に責任ありますからね、と。

しかし、憲法15条を根拠に、あたかも普通の公務員の任命と変わらないで任命できる(=普通に裁量がある、実質的任命権がある)というなら、それはそれで、今度は学問の自由の趣旨とか、学術機関としての特性はどこにいったんだ、と思う。
(昔の答弁で出ている政府解釈や、それに沿った事実が積み重ねられてきたことが運用レベルの話であったというなら、法律上は何も特殊性は加味していないと考えていることになる)

くだけた言い方をすれば、いわば公の名誉ある「ハレの場」にお呼ばれしないことが憲法違反になる(=学問の自由を侵害する)とは思わないけど、今回の件が憲法15条を理由にして実質的な任命拒否権があるから違法にもならないというのは、今度は学問の自由に由来する特性を無視していると思う。

実質的任命権はないというべきだと思う。解釈として、ということですけど。

そういうと、「そうなんです、それで、今回も、実質的任命権を行使したわけではないんです」と言うんだろうし、そう言っているんだと思う。で、それが”総合的・俯瞰的視点”でしたっけ。

ただ、そんなメタ理由でいいなら、何でもつけれる、と思う。

そういったコーティングで済むなら(建前)、実際には中身についてゴリゴリ踏み込んでいけるわけで(本音)、学問の性質的に、それが政治と学問の関係でありがちなヤバいことであるという感覚が見えないことが個人的には怖い(憲法15条が出てきただけでそうなっている)。

憲法15条という総論(=公務員全般)のうえに、学問の自由の保障の趣旨という各論(=学術会議の会員)が乗っかっているのだ、という風に見るのが正当な解釈だと思うのだけど(学術会議法というのは、目的や構造的にみるとそう見える。たぶん、同法は、その昔にかなりリベラル寄りな設計で立法されたものなのだろうと思う)。

まあ管理人のいち意見ですけど…。結局、目立つところには両極端な意見しか出ないのだなあというように見える。

なお、学術会議の方もいろいろあるのかないのか、管理人には肌感としてわからないですけど、あってもなくても、それは立法論。正すべきところがあるのなら法改正で対応すべき(一部改正でも全部改正でも廃止でも廃止&新規立法でも)。現行法の任命拒否権に関する解釈論とは別の話。と思う。

[注記]
本記事は管理人の私見であり、管理人の所属するいかなる団体の意見でもありません。また、正確な内容になるよう努めておりますが、誤った情報や最新でない情報になることがあります。具体的な問題については、適宜お近くの弁護士等にご相談等をご検討ください。本記事の内容によって生じたいかなる損害等についても一切の責任を負いかねますので、ご了承ください。

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