日記

執行猶予判決後の憂鬱

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傷害被告事件の判決があり、無事に執行猶予がついた。

ほっとひと安心なのだが、被告人が「あ、うす」みたいな感じで、法廷での態度にせよ、すこぶる印象が悪い。

当初は断られていた示談を、”こういう風に事情が変わったら、もう一度考えてみてもらえませんか”とつなぎ止め、粘り強く交渉し、何とか示談していただいたのだが、示談がなければ実刑相当であった事案である。そのへんのことコイツわかってんのか、という若干の苛立ちが湧いてしまう(もちろん、度々の接見でタイムリーに説明している)。正直、今後のやる気が萎える。

検察官もけっこう優しげな人も多く、立ち居振る舞いがスマート(=紳士的)なのは良いことと思うのだが、追及が甘いというか、もっと厳しくした方がいいんじゃないの?と思えるときもある。どんな悪いことをしたのか思い知らせ、懲らしめる、という”怖さ”が感じられない。(取り調べのときにどうなのかは知らないけれど。)

自分は、あくまで弁護人は保護者だと思っているので、基本的には接見でも法廷でも、被疑者・被告人を責めることはしない。反省を促すため、またそれを裁判官に見せるために、被告人を法廷で叱り飛ばすような弁護人もいるが、本来の役割ではないと思う。

しかし、こういう事案に遭遇すると、考え直さざるを得ない気持ちになる。こう言っては何だが、検事の多くは、追及が足りないんじゃなかろうか?検事は”追及者”、弁護人は”保護者”のはずである。温情を持っていることは追及者としても大事なんだろうが、追及者は「鬼面仏心」であるべきで、「仏面仏心」では困る。弁護人としても。

このへんの役割分担を曖昧にすると良くないと思う。極端にいうと、「優しげな検事」と「叱り飛ばす弁護人」という構図になっていて、それ逆じゃないの?と思えるような法廷もある。弁護人が叱る役割をしないといけないというのは、検事の叱り方が足りないのではなかろうか。

自覚が足りない被告人を弁護人が叱らねばならないというのは、現実問題としてはあるのはわかる。実際そうしている弁護人の先生が多数いらっしゃるのも知っている。自分もケースバイケースで対応しようと思う。しかし、本来そういう役割分担ではないはずで、なぜそうなるのか?検事は「悪いことは悪い!!」とバッサリ言える人に担ってほしい。

なぜか矛先が検事に向いてしまったが…。悪しからず。

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