法改正

プロバイダ責任制限法の改正世論-プロバイダの立ち位置

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ネットでの誹謗中傷によると思われる痛ましい訃報があり、発信者情報の開示請求に関して、プロバイダ責任制限法の改正世論が盛り上がっています。

本記事では、盛り上る改正世論に、ちょっと波風というか、敢えて穿った見方をしてみることを書いてみたいと思います。

世間で盛り上がっている論調(プロバイダへの規制強化)とちょっと違う視点で書いてますので、嫌な気分になるかも?と気になる方はブラウザバックしていただければと。

プロバイダの立ち位置

誹謗中傷の問題について、プロバイダは、けっこう微妙な立ち位置にいると思います。

どういうことかというと、プロバイダは、

  • そのまま置いておけば「被害者をおざなりにしている」と言われ、
  • 削除なり開示なりしたら「発信者の(匿名)表現の自由や通信の秘密、プライバシーを侵害した」と言われる、

という、そういう微妙な立ち位置にいる、ということです。

いわゆる「進退両難の地位」というやつです(進むも地獄、引くも地獄、ということ)。こういうの、もし個人で言われたら「じゃあどないせえっちゅうねん」という状況ではないかと思いますが、それは企業でも同じといえば同じです。

進むか引くかを決める分水嶺は、開示請求権の要件になっている「権利侵害の明白性」(プロバイダ責任制限法4条)です。

理屈のうえでは、

  • 権利侵害が明白だったら、削除すればよい、開示すればよい
  • 権利侵害が明白でなければ、削除しなければよい、開示しなければよい

ということになります。

しかし、この判定を、いろんな事案について私企業に的確にせよというのは、膨大な事案量という量的なものも含め、かなり厳しい要求と感じます。

もちろん、データの抽出などが実際にはめんどくさいだけなので(←企業にとって事務負担はあってもメリットはない)、そういう理屈(表現の自由、通信の秘密大事etc)を建前にして、そこを免れたい、といった思惑も混じっているかもしれません。

そういうものがないまぜになって、今のプロバイダの対応を形作っている、と思います。

プロバイダの判断

そういった状況のなか、現在、プロバイダがどういう選択をしているかというと、被害者ではなく、発信者の方を重視しているわけです。

なぜか?とひとことでいうと、プロバイダにとって契約者(顧客)は被害者ではなく、発信者の方だからと思います。
(基本的には。媒体については、被害者も利用者という場合も多いとは思いますが)。

これをわかりやすく言うと、こういうことです。

〇「あそこのプロバイダは、発信者情報の開示に積極的らしいぞ」という評判のプロバイダがあるとして、そのプロバイダを使うだろうか?(契約するだろうか?)

あるいは、

〇「あそこの媒体(=情報発信メディア)は、名誉侵害については積極的に削除のうえ、IPアドレスを開示しているらしいぞ」という評判があったとして、その媒体を使うだろうか?

〇「私は実名でやってるから関係ないし、別にいいよ」という人も、住所、メールアドレス、IPアドレスなど氏名以外の情報も開示される可能性がありますが、それは気にならないだろうか?

〇「素晴らしい。誹謗中傷の被害者のことをよく考えた、とても良いプロバイダ(あるいは媒体)だ。私はここにしよう」と本当に言えるだろうか?

〇批判的な言論の文章を書いているとき、「もしかして、万一これが誹謗中傷と判定される(=自分の本人情報が開示される)こともあるのかな?」と思うと、一瞬手が止まらないだろうか?

こういうのを憲法では、「チリング・エフェクト」(萎縮効果)といって、規制の境界線が行為者にとって不明確なときに生じるとされています。本来問題のない行為まで控えてしまう、ということ

といったことを考えたときに、プロバイダとしては、現在、ほぼ最大限に発信者の方に寄った価値判断をしており(ビジネス判断)、かつ、法的リスク判断としては、「裁判所のお墨付きがあるまでは開示に応じない」という形で、誤って開示した場合の、表現の自由・通信の秘密・プライバシー等の侵害、といった謗りを受けないよう、リスクヘッジをしている、と思います。
(なお管理人はプロバイダで働いたことはないので、あくまでいち仮説としてご理解いただければと。いろんな見方があると思います。)

法的リスク判断の部分については、言い換えると、プロバイダ的には、「誤って開示に応じた」と事後的に判定された場合の責任が怖すぎて、裁判所のお墨付きがあるまで開示できないというのがおそらく実態ではないか、ということです。

その結果、

→司法判断が出ない限りは開示に応じない(任意開示に応じない)
→司法判断を得るのがマストになり、このため開示請求のコストが高くなりすぎて、開示請求がなかなか出来ない
→誹謗中傷を書いても責任追及されない
→結局野放しになる、

という負の状況が続いている、と思います。

不都合な現実というのは、さまざまな事情が詰将棋のように組み合わされて、論理必然的にそうなっているという場合が多いと思います。

制度についても、(そういったパズルが)どこで「目詰まり」を起こしているのかを、なるだけ的確に見極めないといけないのだろうなと。

プロバイダに対してどういう風に手を入れるべきか?

管理人個人としては、イデオロギックな感じがするものが、あまり好きではないです。

外部弁護士とインハウス(企業内弁護士)を経験してみると、どちらの視点もあるなと頭に思い浮かんだりしますが、企業といっても規模感はさまざまですし、大きい企業であってもリスク判定は難しいものです。

それが仕事だろという指摘もあるでしょうし、それもそうだと思いますが、理想論すぎる気もします(表現の自由みたいな微妙な問題であればなおさら)。

世間的には、とかく企業が単なる悪者にされる傾向があるような感覚もあります。もちろん、実際にそうである場合もあるでしょうけど。

裁判でも、何なら企業はお金もってるんだからいくらか解決金出して和解したらいいんじゃないの、みたいな訴訟指揮や和解勧告があるのも事実です。事実というか、個人的な肌感覚ですけど。

プロバイダも侵害表現を行った者と同罪だ、みたいな感じで、血祭りに上げろ、刑事罰を課せ的な意見も見かけますが、そういう発想だけだと問題は解決しないような気がします。

たしかに、昨今の世論が怒っているように、削除や開示をしなかった場合のペナルティが少ないのは確かです。が、それは、「プロバイダや媒体自身は侵害表現をしているわけではなく、『場を提供した者』という幇助的立ち位置にとどまる」ということがあるからです。(幇助というのは、手助けのことです)

ただ、ここは意見が分かれるのでしょうね。こんな理屈を説明しても、たぶん世間の怒りは収まらないと思います。ヨーロッパではもっと規制厳しい?みたいな記事も見かけましたので、やろうと思えばできるのかもしれません。

妄想的な試案

ここから先は更に駄文になりますので、飽きた方は、ここでブラウザバックしていただければと。

結局どうしたらいいのかということについて、妄想的な試案(もちろん私見)ですが、2つあります。

1点目:金銭賠償(賠償リスク)については、保険みたいな仕組みがつくれないか?

プロバイダが開示に応じた場合のリスクを低減すれば、任意開示に応じることが増えるのではないか、という発想です。

さて、金銭面で仮に何らかできたとしても、それでも、企業には、「判定を誤った」「誤って削除した」「誤って開示した」という、レピュテーションリスクが残ります。そこで、

2点目:それなら、名誉侵害性判定の専門機関を作ればいいのでは?

そんな機関があれば、たぶん、企業は喜んで判断を「丸投げ」してきそうな気がします。(データ抽出などの事務的負担は残りますが、それは社会的責任ということで)

これなら、判定を誤っても(つまり、事後的に発信者から訴訟が起こされて、開示が違法だったと判断されても)、その判定機関が誤ったということになるので、企業にはレピュテーションリスクも残りません。

そこまでやれば任意開示の範囲は相当広がるのではないか…?と思います。また、零細な媒体でも、業務量を減らす方向に作用するので、導入しやすいのではと。

まあ、逆側にあるリスクは、その専門機関が操作されたときのヤバさですので、なかなか難しいのはわかりますが。

ちなみに、司法権はすべて裁判所に帰属するので、そのような仕組みをつくったとしても、最終的には裁判所に係属できるようにする必要がありますが(戦前の軍法会議のような、司法権の分属の問題点の反省)。

まあこれは本当に脳内妄想ですので。。。ただ、任意開示の範囲をなんらかの方法で広げる、というのが検討すべき流れだと個人的には思っています。

つまり、開示してもプロバイダが責任を問われにくいようにする→司法の判断を待たずとも任意開示されやすくなる=開示請求のコストが下がる→事後的な責任追及がされやすくなる→誹謗中傷が抑制される、ということです。

結び

いろいろ書きましたが、個人的には「プロバイダが任意開示に応じないのはなぜか?」というのが、今の事態の核に、実はあると思っています。

この部分についても、いろいろな角度からの見方があると思いますが(単なる企業の怠慢、利己的判断と言う人もいるでしょうし)、ここでは個人的な見え方を書いてみました。

ワーッと一方向に殺到する議論がなぜうまくいかない(と思う、という主観です)かというと、逆側の利害を考慮していないからです。法律は、ほぼすべて、対立する2つの利害を調整しているものなので。

現状を変えるのに「熱量」は必要なので、ブワッと盛り上がるのはいいことだと思うのですが、そのあとはフッと冷静になって、じゃあどうやっていくのが一番いいんだろう?というのを考えるフェーズが必要なように思います。

法律をつくったり変えたりというのは、対立する2つの利害のなかで、ツマミを右に寄せたり左に寄せたりして、調整する、そのバランス・塩梅(あんばい)・作り込みの良さが、制度作りのセンス、というものなのではないかと思います。

なんとかしないといけないという熱いハートと、全体を見渡すことのできるクールな頭、そういう制度づくりがされればいいな、と思います。

[注記]
本記事は管理人の私見であり、管理人の所属するいかなる団体の意見でもありません。また、正確な内容になるよう努めておりますが、誤った情報や最新でない情報になることがあります。具体的な問題については、適宜お近くの弁護士等にご相談等をご検討ください。本記事の内容によって生じたいかなる損害等についても一切の責任を負いかねますので、ご了承ください。

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