法律コラム

弁護士が自由なのは「一国一城の主」だから?

弁護士になったのは,「一国一城の主」になりたかったから。「やっぱり自由がいいよね!」という話を聞くことが多かった気がする。

 

でも,弁護士が自由っていうのは,本当にそういう意味なのだろうか?猫も杓子もみんなそう言ってるなーと思いつつ,自分としては全くといっていいほどそういう感覚はなかったし,そういう話を聞いても自分の中から何も反応はなかった。

 

一国一城の主=自由業,っていうのは,なんだか単純すぎませんかね?もちろんそれを目指して頑張る人がいるのは全く良いことだし,かっこいい人もいっぱいいる。

 

ただ,異なる考え方があってよいと思う。

 

自分にとっては,「自由」というのは「選択できる」ということである。

 

一国一城の主になってもいいし,インハウスになってもいい。

インハウスのなかでも,企業にいってもいい,省庁にいってもいい。

学校法人とか,社会福祉法人とか,営利法人以外の法人で活動してもいい。

組織で働くこともできる,単独で在野で活動することもできる。

部長や役員になって組織を動かす立場になることもできる。

お金に重きをおいて活動することもできるし,社会的意義に重きをおいて活動することもできる。

監査法人の弁護士チームで働く,といったこともできる。

国際事業,人権活動に一生を捧げることもできる。

 

いろんな選択ができる可能性が高い,というのが,弁護士が「自由である」ということの意味であると思う。

 

まあ声を張り上げて言わずとも現実は上記のように動いているような気もするので,「そもそもキミの勘違いだよ?」と言われそうだが,それならそれでいい。

 

選択できる,というのはとても大事なことだと思う。
何か言いたいことがあっても,表現の自由が抑圧されているときには,「言う」か「言わない」かの選択はなく,「言わない」という選択肢しか選べない。
どこか行きたいところがあっても,人身の自由が抑圧されているときは,「行く」か「行かない」かの選択はなく,「行かない」という選択肢しか選べない。
自由ということの本質は,このような「選択できる」ということであると思う。

 

最近はローヤーもいろんな選択をする人が増えてきて,バリエーション豊かな傾向になりつつあるのは良いことだと思う。「自由」の意味も変わってくるだろう。

 

もちろん,選択の結果はすべて自分にふりかかってくるので恐ろしいことだし,”選択疲れ”なんてものもあるようだ。ただ,自分でそれらを受け止められたのなら,一歩踏み出してよいと思う。

  • この記事を書いた人

とある法律職@転職×法務×弁護士

法律を手に職にしたいと思って弁護士になったが、法律って面白いと割と本気で思っている人。経歴:イソ弁、複数社(3社)でのインハウスローヤー、独立開業など。自分の転職経験、会社法務や法律相談、独立開業の話などをアウトプットしています。

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