司法試験

新司的ノウハウ②|訴訟物から考える

2010年3月20日

第7回。今回は「訴訟物から考える」。

「訴訟物から考える」とは

何が言いたいかというと、訴訟物が訴訟の出発点であり、終着点だから、答案でもそのようにするということです。民事では訴訟物ですが、刑事では公訴事実です。

つまり答案の大枠が、訴訟物→要件→あてはめ、の順に構成されているというのが、まず基本だと思います(もちろん、小問の問いかけの仕方によっては、訴訟物から書く必要のないものもありますが)。

答案を読んでいるといきなり問題点についてつらつらと書き始めているものにしばしば出会いますが、このような構成だと、何のためにその問題点を書いているのか読み手からするとすぐにはわかりません。

問題点というのは、それ自体で宙に浮いて存在しているのではなく、何かの訴訟物(あるいは公訴事実)の存否を判断する過程で検討が必要となっている事項のはずです。

ですから、いったい何のためにその問題点を長々書いているのか、読み手が当初から明確にわかるように構成されているべきだと思います。

それが、「訴訟物から考える」「答案の大枠を訴訟物→要件→あてはめ、の順に構成する」ということです。

まあ何でもないことじゃないかとお思いでしょうが、常にこの思考フォームで事案ごとに考えていくというのは、存外重要なことであろうと思います。

答案を覚えるという方法論を捨てる

これを旧司法試験との比較の観点で言い直すと、新司では、「答案を覚えこむ」という方法論が(多分)通用しない、ということです。

まあもともと旧司においても邪道ではあったのでしょうが、各科目100問ぐらいの答案の論理を頭に叩き込んで臨めば受かる、という風潮があったのも事実です(私は受かりませんでしたけど)。

誤解はしないでほしいですが、問題演習の重要性を否定しているのではありません。問題演習は重要です。

何と言うか、初見の問題を目にしたときの思考フォームの話をしたいわけです。

新司の問題は問題の形でお目にかかったことのないものも多いですから、事案ごとに訴訟物から考えていく、という本来の健全な思考フォームで挑んだ方が点もとれるし将来にも役立つだろうということです。

想起するのは類似判例

上記のように、「類似の答案を想起する」というのは(多分)やめた方がいいと思いますが、「類似の判例を想起する」のは良いことだと思います。というか、むしろそれが要求されているのだろうと。「類似のものを想起する」という発想は、答案ではなく判例でなら◎、ということです。

そして、今まで新司で想起が要求された判例は、(ほぼ)すべて百選か重判に載っています。だから、判例についてはここの範囲を押えれば十分だと思っていいと思います。

ここ以外から絶対出ないとはいいませんが、知らなくても解けるようになっているか、もしくは知らなくても差がつかないと思います。

結び

春の嵐か何か知らないが、やたら雨が降りますな・・・。憂鬱な気分になりがちですが、体調を崩さないようお気をつけ下さい。

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