弁護士像

新しい弁護士像|「法務弁護士」というような概念

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ちょっと突然妄想じみたことをいうが、昔から何となく、「法務弁護士」というような概念が出来ればいいんじゃないかなと思っている。

紛争処理もするし平時の法務の処理もする、それが1人の人間の中で混じり合っているようなイメージの。

昔ロースクール時代に、ロースクールの理念として「理論と実務の架橋」ということが言われていて(掛け声倒れだが…)、実務家教員と学者教員が一緒になって行う「◯◯系実務」みたいな単位があった。が、そこで行われている事は、理論の部分を学者教員が説明した後、「じゃあここから先は◯◯先生にお願いします」ということで実務家教員にバトンタッチする、という流れだった。

学生の時分ながら、学者と実務家が単に同じ時間・同じ場所に立っているだけで、何も架橋してないやんと思っていた。混じり合っているのかこれはと。別々にやってもいい講義を続けてやってるだけじゃないのかと。。

これに対してある時、課外の任意の試験対策の時間だったと思うが、ある実務家(当時検察官)が、刑事事件で極めて抽象性の高い論点の理論から、具体的な事案の当てはめまでを一連の流れで一気に流れるように説明したことがあって、その時に感動したことを覚えている(内容は忘れてしまったが)。

何かが混じり合っているとか架橋をしているというのは、こういう風に別の属性のものが1人の人間の中で混じり合っている時にしか生まれないのではないか、と思ったことを覚えている。

さてこれを紛争処理業務と法務業務に置き換えれば、これも1人の人間の中で混じり合う必要は無いだろうかと。

紛争処理業務と法務業務はそれぞれ別のものだと思われがちだけれど(たとえば外部弁護士とインハウスといったような)、少なくとも概念的にいえば、法務業務を考えるときは紛争処理からの逆算的思考も1つの要素として必要だし、また一方、紛争処理(つまり事実認定)を本当の意味でうまく行うためには、平時の状態(つまり経験則)をよく知っておく必要があると思うのである。

法学入門で言われるような話だが、そもそも法律自体2つの側面があると言われているはずで、それは、法律は「裁判規範」でありかつ「行為規範」であるということである。前者は紛争処理としての法律の側面だし、後者は法務に限らないが平時の統治についての法律の側面だといえる。

だとすれば、紛争処理も法務業務も、本当の意味でちゃんとやろうとすれば、もう片方もこなせる事(経験している事)は必然的に必要なのではないかと思ってみたり。

別のたとえ話を出せば、ドラクエ3の職業に「賢者」というのがあった(懐かしい…笑)。賢者になるには、魔法使いと僧侶のそれぞれを一定レベルにまで上げてからでないとなれない。魔法使いだけをレベル99にしても、僧侶だけをレベル99にしてもなれない。

また、魔法使いから僧侶に転職したら、あるいは賢者になったら、またレベル1からやり直しなのだけれど、そういうプロセスを経ないと、一定レベルの賢者にはなれないようになっている。

が、一定レベルの賢者になれば、賢者にしか使えない魔法が使えるようになる。

法務と紛争処理を両方やるのもこれに近いものだと思っていて、個人的には何となくそういう発想で今までやってきている。

まあ妄想じみた話だし、この人は何を言っているんだろうとしか思われないと思うが、ふと考えがまとまったのでメモ代わりに書いておいた。要するに両方を経験して溶け合わせてやっていくと、そういうのって「法務弁護士」みたいな呼び名で呼べるんじゃなかろうか、ということです。(それは組織の中か外かという概念ではなくて。)

[注記]
本記事は管理人の私見であり、管理人の所属するいかなる団体の意見でもありません。また、正確な内容になるよう努めておりますが、誤った情報や最新でない情報になることがあります。具体的な問題については、適宜お近くの弁護士等にご相談等をご検討ください。本記事の内容によって生じたいかなる損害等についても一切の責任を負いかねますので、ご了承ください。

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