法学部の授業や基本書で、よく出てくる対立軸があります。 それが主観説と客観説の対立です。
日常用語で客観的というと、何をイメージしますか? データや証拠に基づいていることや、誰が見ても明らかな事実であることを思い浮かべる人が多いでしょう。
しかし、法律の学説で客観説という言葉が出てきたとき、その多くは日常用語とは全く違う意味で使われています。これを知らないと、解説などを読んでも意味が頭に入ってきません。
今回は、法学特有の「客観」という言葉の意味を解き明かし、典型的な例を通じてその感覚をマスターしましょう。
ではさっそく。なお、引用部分の太字、下線、改行などは管理人によるものです。
法律の解釈論における「主観」と「客観」の意味
法律の解釈論において、この2つは証拠や裏付けの有無ではなく、「誰を基準(ものさし)にして判断するか」という視点の違いを表しています。
つまり、法律の世界で「客観説」と言われたら、その人個人の言い分は一旦置いておいて、世間一般の常識的な基準で判断しましょうと翻訳すると、スッと理解できることが多いです。
では、実際の法律の論点でこれを見てみましょう。
ケーススタディ①:憲法76条3項「裁判官の良心」
~裁判官が「私の信条では無罪だ!」と言ったら?~
憲法76条3項には、裁判官の独立についてこう書かれています。
▽憲法76条3項
すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。
ここで論点になるのが、良心とは何か?という点です。
- 主観説(個人の主観的な良心):
裁判官個人の宗教観や人生観、道徳的信念のこと。憲法19条(思想良心の自由)の良心と同じと考える - 客観説(職業的良心)【通説】:
裁判官として法の客観的原理を探求し、そこから帰結されるところにしたがって裁判するということ。憲法19条(思想良心の自由)の良心とは異なると考える
もし主観説をとるとどうなるでしょうか?極端な話、 ある裁判官が個人的に「私は神の教えにより、いかなる人間も裁くべきではないと信じている」などと考えていた場合、法律から離れた判決を下すことが許されてしまう可能性があります。これでは法治国家が成り立ちません。
そのため、通説(客観説)では、ここでいう良心とは、裁判官個人の主観的な良心ではなく、客観的良心、つまり職業裁判官としての良心と解されています。ここでの客観は、「個人の心(主観)」に対して、「標準的な判断軸(客観)」という意味なのです。
ケーススタディ②:パワー・ハラスメントの判断基準
~「私は不快だからパワハラだ」は通用するか?~
近年、ニュースでよく耳にする「パワー・ハラスメント」。しばしば「ハラスメントは、受け手が不快に感じたら成立する」と言われませんか?
ただ、もし受け手の感じ方(主観)だけで全てが決まるなら、極端に潔癖な人が「不快だ。パワハラだ」と言っただけで、処分対象になってしまいます。これでは誰も安心して働けません。
そこで、厚生労働省の指針や裁判実務では、ここでも客観説的な基準を登場させます。パワハラ3要件のうち③「労働者の就業環境が害される」の判断基準です。
▽パワハラ指針 2-⑴・⑹
⑴ 職場におけるパワーハラスメントは、職場において行われる①優越的な関係を背景とした言動であって、②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、③労働者の就業環境が害されるものであり、①から③までの要素を全て満たすものをいう。
なお、客観的にみて、業務上必要かつ相当な範囲で行われる適正な業務指示や指導については、職場におけるパワーハラスメントには該当しない。
⑹ 「労働者の就業環境が害される」とは、当該言動により労働者が身体的又は精神的に苦痛を与えられ、労働者の就業環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じる等当該労働者が就業する上で看過できない程度の支障が生じることを指す。
この判断に当たっては、「平均的な労働者の感じ方」、すなわち、同様の状況で当該言動を受けた場合に、社会一般の労働者が、就業する上で看過できない程度の支障が生じたと感じるような言動であるかどうかを基準とすることが適当である。
▽パワハラ運用通達 第1-1-⑶-イ-⑥
⑥ 指針2⑹は職場におけるパワーハラスメントの3つ目の要素である「労働者の就業環境が害される」の内容と判断基準を示したものであること。
「平均的な労働者の感じ方」を基準とするとは、社会一般の労働者が、同様の状況で当該言動を受けた場合に、就業する上で看過できない程度の支障が生じたと感じるような言動であるかどうかを基準とするという意味であること。
なお、言動の頻度や継続性は考慮されるが、強い身体的又は精神的苦痛を与える態様の言動の場合には、一回でも就業環境を害する場合があり得るものであること。
ここでも、個人の敏感さ(主観)ではなく、社会一般の平均的な感覚(客観)というモノサシが使われています。
ケーススタディ③:刑法175条「わいせつ」の概念
~「これは芸術だ!」と主張したら無罪か?~
最後に、刑法のわいせつ物頒布等罪(刑法175条)を見てみましょう。ある小説や映画が「わいせつ」かどうかは、誰が決めるのでしょうか?
▽刑法175条1項
(わいせつ物頒布等)
第百七十五条 わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の拘禁刑若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は拘禁刑及び罰金を併科する。…(略)…。
- 主観説的な視点:
作者の意図を基準にする。作者が「これはポルノではなく、純粋な芸術を作るつもりだった」と真剣に思っていれば、わいせつではない - 客観説的な視点 :
社会通念(一般人の感覚)を基準にする。作者が芸術だと思っていても、世の中の平均的な人が見て「これは単に性的欲望を興奮または刺激させるものだ」と感じるなら、わいせつである
これはいわゆる芸術性とわいせつ性の対立で、常に古くて新しい論点ですが、判例は基本的に後者の視点をとり、わいせつ性の判断は一般社会において行われている良識・社会通念を基準として行うという立場をとっています。
たとえ作者が高尚な思想(主観)を持って制作したとしても、それだけでわいせつ性が否定されるわけではなく、それを受け取る社会一般の目(客観)でアウトと判断されれば、犯罪が成立するのです。
結び
客観説という言葉に出会ったら、難しく考えずにこう変換してみてください。
- 日常の「客観」: ファクト(事実・証拠)
- 法律の「客観」: スタンダード(一般人の基準・常識・平均的な感覚)
その人個人の心の中(主観)を絶対視するのではなく、社会の標準的なモノサシ(客観)を当てはめてバランスを取る、というのが、法律学における客観説の中身です。
この視点を持つと、憲法、労働法、刑法など、いろんな法律の議論が「個人の事情 vs 社会一般の基準」という対立構造で整理できるようになりますよ。
[注記]
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