法律コラム

なりたくない弁護士像

Photo by Thomas Willmott on Unsplash

「なりたい弁護士像は?」と聞かれても、はっきりしたものは答えられないが(言うとチャチくなるし)、「なりたくない弁護士像」というのは、たくさんある(ご注意:以下はただの愚痴でもあるので、読みたくない人は読まないで下さい)。

「趣旨から考えた一本筋のとおった答案」と言って得意満面の弁護士

どんな答案を書けば評価されますか?という悩める受験生の祈りにも似た深刻な問に対し、「趣旨に遡って一本筋の通った答案がいい答案だ!」と言って、ちょっと得意げに「おれ今ええこと言うた」的な顔をする弁護士。

言ってることは確かに完全に正しいのだが、安部元首相の「美しい国」にも似て、具体的なアドバイスとしてはほとんど役に立たない。何か力になれることがあれば言ってあげたい、という気持ちを実は全然持っていない。本人も気付いてない。言ってる本人が満足するだけの言葉。

しかもそのあと、「なめるんじゃない!」とかいう一言を付け加えた人(弁護士ではない)までいたが、「お前がなめるんじゃない!」と心の中で言い返した。学生の時分だから口には出せなかったが。

こんな人にはほんとになりたくない。

「地方で働いてる弁護士は目がキラキラしている」とか言う弁護士

ゼロワン地域など地方の弁護士について言及し、「地方に行って働いている弁護士は目がキラキラしている」と言い、都会で働くことがいいわけじゃないから、君たちも是非人がいないところに行って働くのもいい、と言う弁護士。

その人は「都会で生まれ」「都会で育ち」、「都会の大学を出て」「都会で弁護士として働いている」。偉い先生であるが、地方で働いたことなどない。

そういう自分の状況を無視してこんなことを言って恥ずかしくないのだろうか?と思った。同時に思った。「おれは法律知識に関してはあなたに一生勝てないだろうが、地方で生まれ地方で育って地方の没落をこの目で見ているから、そのことに関してはあなたよりなんぼかわかっているよ」と。

同じ言葉を言っても、弁護士がいなくて法的インフラが届かない人に法の光を照らしてあげたい、という思いで地方に出て、以来この道20年、みたいな人が言ったのなら、間違いなく僕は感動していただろう。

だがその人は自分でそんなことをしたことは全然ない。自分は何でも知っているとでも思っているのだろうか。

こんなひとにはなりたくない。

そもそも筋の通ってない弁護士たち

弁護士増員の掛声で司法制度改革の柱として掲げておきながら、臆面もなく「何かうまくいかんみたいだからやっぱ減らそうか」と、ロースクールにいる学生からすれば特に納得できる理由もなく合格者を減らそうとしている弁護士たち。

出願が全部終わってから突然短答と論文の配点比率を変えるとか言ってる弁護士たち。まあだからって「それなら出願しなかったのに!」と言う人はいないとは思うが、ルール違反であることは自明であろう。弁護士たちは「予測可能性」という言葉を知っているはずなのに。

ロールクールができたことによって、金銭面・労力的に事実上法曹への道を完全に閉ざされた社会層の人たちがいるはずである。昔は気合さえあれば本を買って勉強して通信で答案書いて司法試験に合格する、という道も細いながらあったはず。しかし今はもうそんなことはできない。予備試験という道もこれをフォローするほどには広くならないだろう。弁護士たちは「法の下の平等」という言葉を知っているはずなのに、「機会の平等」などもはやここでは失われてしまっている。

理念として頭ではわかっているはずなのに、こと自分の行動になるとまったく違うことをしている。こんなひとたちにはなりたくない。

選民思想が端々に滲み出ている弁護士

やはり500人時代に法曹になった人たちは「選ばれた」という感覚を持っている。

これは責任の重い仕事をするのだから、という自負と表裏でもあり、一概に悪いものでは全くない。良い意味での誇り、といえばそうともいえる。

しかし個人的には、威丈高な弁護士にはなりたくない。

結び

今までに思ったことがあることをまとめて書くとこんな感じになった。弁護士たち、って書いてるけど要するに法曹全体ですな。自分の不満・甘えなのか?しかし「いるいる」といくばくかの修習生は思うのではなかろうか。

ブログを書くといつも思うのだが、いったい何がしたくてこんなことを書いているのかわからない。だがなぜか無性に書きたくなるときがある・・・。

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